うおぜっきょう
殺生に飽きて出家した漁師はまだ経も読めず、説経もできないまま西国見物を済ませ、見物と入門を兼ねて都へ向かう。そこへ来合わせたのは、持仏堂の世話と法事をしてくれる僧侶を求人に来た信心深い男。男は出家を連れて帰り、早速説法を所望する。俄坊主で説法などしたことがない出家は、漁師のころに慣れ親しんだ魚の名前を言い並べてその場を切り抜けることにするが・・・。
大寺、大家の師匠の元に入門して下働きから養成してほしかった出家と、一人前の僧侶を求めていた男の行き違いが生む悲喜劇である。
曲名の表記は「魚説経」(流儀、家によっては「魚説法」「魚説教」と書かれる)
曲中では「説法」と発語する。
「これは津ノ国、兵庫の浦に住む、漁師のなれる果てで御座る」と名のる為、兵庫県出身の我々にとっては馴染みの深い曲であるが、殺生戒を重んじる僧侶の前身が、生臭い漁師であるというキャラクターのギャップも往時は面白かったのであろう。
眼目の説法は、開式の文句から回向文に至るまで巧みに魚の名前が組み込まれており、ここまで言ってのけるならば、正式な説法も述べられた筈なのにと頭を捻ることしばしばである。コロナ禍で自粛のころはオンラインで何種類の魚が登場するか、という企画がしばしば行われたが、使われる台本によって、或いは魚とその他の魚介類の定義によって答えは異なってくる。あなたは何種類の名前が登場するか、おわかりになるだろうか。