太郎冠者を引き連れて狩に出た大名は道中で猿曳に出会う。大名は持っている靭に猿の皮をかけたいので、皮を貸せと言う。猿曳が断ると大名は弓矢で脅迫する。やむなく猿曳は猿を呼び寄せ、因果を言い含めて杖で打ち殺そうとするが、猿は無邪気にその杖で新しく覚えた船漕ぎの芸をする。泣き伏す猿曳の言葉を聞いた大名もついに貰い泣きをして、猿の命を助けることにする。猿曳は喜んで猿に舞を舞わせると、大名も浮かれて猿と共に打ち興じる。
大名は当初、皮を剥げば猿の命が無くなることがわからなかったのかも知れない。後先もわきまえず、ただ自分の道具に猿の皮をかけたい、グレードアップした道具を周囲に自慢したい。だからこそ能天気に「一年か二年かけたならば、後は返す。先ず貸せ」と言ってのける。そして猿曳に反論を受けても猶、一旦、大名である自分が頭を下げたのだから、対面を持ち出してしまい、引っ込みがつかないまま、勢いに任せて弓に矢をつがえる。
本型では太郎冠者の報告で、替の演出では太郎冠者の影から立ち聞きをして事訳を知り、自らの言葉で反芻することで、段々と自らが仕でかそうとしている事の重大さに気付く。
猿曳が小猿に因果を含めるところを「宣命」という。宣命という技法そのものは、初心で習う狂言《しびり》に出てくる。しかし《靭猿》では、権力者に暴力で無理やり屈服させられる怒り、小猿への情愛と、自らの手で打ち殺さなければならない無念がないまぜになる難物である。
杖を取った小猿が跳ねて行って、新しく覚えた芸を披露する時、杖を取られた猿曳の「あれ?」は驚きと戸惑いの「あれ?」である。その「あれ」が「あれ?あれ?あれ・・オオ、あれ!あれ!」と変化する。
太郎冠者は初めこそ官僚的に対応するが、次第に両者の板挟みになる。猿曳が一縷の望みを持って袖に縋ってきた時、振り切るのに一瞬の間がある。「せまじき物は宮仕え」である。猿曳の叙述を預かって大名に取り次ごうとした時、替えの演出では大名が「聞いた」と遮る。太郎冠者の心中、ホッとする瞬間であろう。大名が「命を助ける」と言い出した時に安堵して返事するのは、既に心は猿と猿曳に傾いていたからであろう。「な、打っそ(打つな!)と言え!」と畳み掛けが来て空気は急展開する。喜び勇んで助命を報せに行く。
子役とは言え、小猿は大役である。身体を全て覆う着ぐるみを着て、後半は窮屈な姿勢で舞を舞わねばならない。面で視界も制限される。あまり面を用いない狂言方が、修行過程の最初と最後(釣狐)で面を用いる皮肉である。
後半の舞は本型では猿曳の独吟だが、替の演出では助吟が加わり詞章も型も変わって
華やかな祝言となる。